ベスト盤などに必ずと云ってよい程、収録される名曲に1937年から1938年録音ものが多く、「喜びあり(Y A D'LA JOIE)」「青い花(FLEUR BLEUE)」「王様のポルカ(LA POLKA DU ROI」「ラ・メール(LA MER)」「メニルモンタン(MENILMONTANT)」「ブン!(BOUM!)」「私はうたう(JE CHANTE)」...と大変な時期です。その後も「残されし恋には(QUE RESTE-T-IL DE NOS AMOURS)」「詩人の魂(L'AME DES POETE)」他多くの名曲があります。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドより先に私はニコのアルバムを聴いた。その最初の出会いは『THE END ジ・エンド』(1974年)。当時、日本盤で入手可能な作品はこの再発盤だけだったのだ。音楽雑誌で何となく少しの予備知識やイメージは持っていた。しかし、そんなものはどこかにふっ飛んでしまった。でも、直ぐに好きになるとかその様な感覚ではなかったと思う。ただ、今までに聴いたことの無い世界、お声の圧倒的な存在に慄いた。ドアーズの「ジ・エンド」がアルバム・タイトルでありニコがカバーしている。ドアーズのオリジナルの方は、ラジオで「サイケデリック・サウンド特集」のような番組がありエアチェックして聴いていた。でも、ドアーズよりもずっと、ずっと、私はニコの歌う「ジ・エンド」が好きだと思い、今も変わらない。ニコはジム・モリソンと仲が良かったと伝え聞く。追悼の意も込めて愛を込めて自分の歌にしているように思う。
この絵はスコットランドの画家ジョン・ファエド(JOHN FAED:1819年8月31日~1902年10月22日)の『クルエル・シスター』です。上記の英国トラッドフォーク・バンドのペンタングルの歌と同名タイトル。私はジャンルをあまり意識せず女性ヴォーカルがいつの間にか大好きになり、今では愛好しているのだという自覚さえあります。少女愛好と無縁でもないのです。そんな中でトラッドフォークが好きになってゆきましたが、何と云ってもあの幻想とロマンの歌詞の世界とメロディに魅了されたからです。そのきっかけとなった曲がペンタングルだったのです。 ロマン主義とも無縁ではなく、美しくも残酷な伝承たちは遥か太古の時代から生き続けている。元来、神話や妖精物語が大好きなので今もまだまだ色々と読んだり鑑賞したり。フランシス・ジェームズ・チャイルド(FRANCIS JAMES CHILD:1825年2月1日~1896年9月11日)というお方の大偉業である『チャイルド・バラッド』の文献の日本語訳(全部ではないけれど)が全3巻として発行された折は飛び上がる思いで、今も机の片隅にいつも居るご本たち。この『クルエル・シスター』は『チャイルド・バラッド』の10番(チャイルド氏の名がリスト番号となっている)の『二人の姉妹(THE TWA SISTERS)』と題されたものと類似したお話。似たお話は、イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズを中心にヨーロッパ各地までに及ぶ「バラッド集」は幾種類もの文献が存在する。私は特に研究家でもないので限られた手許にある資料を参考にさせて頂いている。
姉妹物語が好きでもあるので、今日はこの絵に関連した『二人の姉妹(THE TWA SISTERS)』のことを。この絵の三人は、真ん中の騎士と向かって左の女性が姉で右が妹。この騎士は妹を愛しているのだけれど姉の妬みにより、可哀相に妹は姉の手によって川へ突き落とされて死んでしまう。姉は黒髪であることが強調されているようで、妹は金髪で白百合のような手で細い腰の美しい娘である。しかし、姉の手によって溺死してしまう。妹は浮いては沈み浮いては沈み水車の堰まで流れてゆく。粉屋が娘を見つけ、竪琴弾きが通りかかり、その娘の蒼い姿をみつめ泣く。竪琴弾きは娘の肋骨(ほね)で琴を作り、娘の髪で弦を張り、その竪琴を持ってお城にゆく。その音色は石の心も和らげ、その調べは人の心を悲しませる。お城に着き石の上においたその琴はひとりでに鳴り出すのであった。
ジス・モータル・コイル:THIS MORTAL COIL 『IT'LL END IN TEARS』 1984年
2011年06月05日
ジス・モータル・コイル(THIS MORTAL COIL)『涙の終結(IT'LL END IN TEARS)』(1984年)
ジス・モータル・コイル(ディス・モータル・コイル)の1984年の1stアルバム。このプロジェクトは「4AD」の社長でありプロデューサーでもある、アイヴォ・ワッツ・ラッセルによる企画プロジェクトで、「フェイヴァリット・ミュージシャンによるフェイヴァリット・ソング集」のような計画を実現させてしまったもの。現在までに3作品ある。この第一弾となる極めて美しい正に「涙の終結」という邦題の如く耽美的な作品。殊にティム・バックリーのカバー「警告の歌(Song to the Siren)」を歌うエリザベス・フレイザー(コクトー・ツインズ)は一級の芸術品のように美しく大好き!レコーディング中にこの曲を聴きながら涙したアイヴォ氏であったという逸話も残されている。
デッド・カン・ダンス:DEAD CAN DANCE 『AION』』 1990年 ~ 「ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)について知ってる二、三の事柄」
2011年06月04日
DEAD CAN DANCE(デッド・カン・ダンス)『AION』★画:ヒエロニムス・ボス(ボッシュ)『快楽の園』
DEAD CAN DANCE(デッド・カン・ダンス)の1990年の5thアルバム。まだバンド形態としてのドコドコとした暗黒感覚に溢れていた1stから今も好きでよく聴いている。80年代の『4AD』は英国のとても好きなインディー・レーベルだった。その最も好きな時期の『4AD』はコクトー・ツインズとこのデッド・カン・ダンスが主軸だった。DEAD CAN DANCE(デッド・カン・ダンス)は「デカダンス」を捩っているとも想う。 初期のゴシック感覚からさらに民族音楽や古楽に至る中世の空気が強化されていった。徐々にブレンダン・ペリーとリサ・ジェラルド(リサ・ジェラード)の2人の世界は深まって行く。個人的にこの作品がリリースされた頃、ある重圧と葛藤の時期でもあった。そんな中、この作品を聴きながら辛うじて祈りと心の平静さを保つ事が出来た。ある人生の過渡期に一緒に居てくれた音楽は忘れられない。